ヴィーガンとノン・ヴィーガン
ノン・ヴィーガンのアピールがヤバイ
一般的には、まだまだ絶対数ヴィーガンがマイノリティー(少数)の場合が多いです。
ほとんどの場合はコーナーに追い詰められ、質問攻めにされ、なぜかノン・ヴィーガンの素晴らしさを好き放題永遠に話され、比べられることが多いのではないでしょうか?
大抵の場合、今はヴィーガンでも以前はノン・ヴィーガンの人たちが多いはずですので、そんなことは分かってる!って話になります。
筆者もノン・ヴィーガンですので、以前はやっぱり正当性をアピールしていました。(なんせ数年前は、本当に肉しか食べない時期がありましたので)
たぶん、ノン・ヴィーガンはディベートをしようとしてしまうのですが、ヴィーガンは情報収集や創造性を会話に求めています。
「エゴシステム」vs「エコシステム」といったところでしょうか。(MIT Sloan: Otto Scharmer [MITx,2015]の言葉を参考にすると)
実はこれがきっかけでこのブログを始めた
ヴィーガンについて様々な情報に触れる中で、なぜ彼らがここまで相手(もちろんNV)に気を使って話さなければいけない状況にあるのか違和感を持っていました。
だったらヴィーガンでない自分がヴィーガンについて学んだことをブログでシェアしていけば、それほどバイアスの無い意見として伝わるのでは?っていうのがこのブログを始めたきっかけの一つです。
最大の問題は「ヴィーガン」について知らな過ぎる
やはり両者の相互理解が一番大事だと感じます。(正直な話、NVが無知過ぎるんですが)
筆者がまさにそうですが、ヴィーガンについて知れば知るほど自分が食べる物に対して考えるようになり、正直そこに罪悪感を感じるくらいです。
しかも食に対する意識の高いサンフランシスコにいて、美味しいヴィーガン・フードはそこら中に沢山ありますので。
まだまだマイノリティーなヴィーガンですから、ノン・ヴィーガンとの話し方にはこれからも難しい面もある事でしょう。日本国内(同民族)での多様性の理解は本当に難しいですよね。
今世界中で急速に増えているヴィーガンの3年後の未来が楽しみです。